癖づけ


 黒のバケットハットを目深に被った男の乗るエレベーターに、夫妻娘で成る家族が乗り込んでくる。男は素早く入り口に移動し「開」を。妻は階数のボタンを押し、あとから娘を急かして夫が乗る。


何気なく顔を上げた妻の竹内結子は気が付く。

バケットハットの男が右手の親指でボタンを押していることに。


視線を感じた滝藤賢一は、慣れない人差し指で、震える人差し指で「閉」を押す。



 癖で個人を特定した、映画「ゴールデンスランバー」の一幕だ。

本も映画(最近韓国版が上映されてる)も最高で、面倒くさいし中身の説明はしないが、とにかく僕はこの映画を観て(9年前)からというもの『親指でエレベーターのボタンを押す』ことにしていて、もう完全に無意識で押している。


 これまでしていなかったことを習慣にするのはとても難しい。

する必要がなかったことに、意味を持たせ、必要性を自分に刷り込なければならない。


では、『親指でエレベーターのボタンを押す』のは何故定着したのか。

『親指でエレベーターのボタンを押す』必要って何だろうか。

答えは簡単で、

僕が『親指でエレベーターのボタンを押す』ことに

「ゴールデンスランバー・フリーク異性」が気付き

「ゴールデンスランバー・トーク盛り上がり」が行われ

「ゴールデンスランバー・に端を発した交友関係の構築」を狙うものである


なんだよ、結局それかよ…

だからこのブログも『傍若無人ブログ』と言いつつ、

ありったけの下心を持って書こうと思う。

原動力はどうあれ継続が大事だ。


さて、近所の公園を散歩しよう。

生気なく潰れてるスニーカーに足を詰めて、鍵を閉める。

マンションの回廊を周ってアイツを呼ぶ。

もちろん、親指で「↓」「1」「閉」だ。

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