10万年後に、助けてくれ。



2017年公開の映画「ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」のキャッチコピーである。

ゴリゴリにネタバレをするので、鑑賞予定のある人はこの先も読んで後悔して下さい


で、コピーが書かれたポスターがこれ↓

必死に手を伸ばすのび太の背中。青い生き物に掴まれて(掴まって)叫びながら宙をとぶドラえもん。

「ドラえもーーーん!!!」

『のび太くーーーん!!!』

そんな叫び声は、いとも簡単に脳内で再生できる。


もう手を伸ばしても届かない。立体感が二人の距離を感じさせ、その間に『10万年後に、助けてくれ。』ときている。なんて途方もない、絶望的な祈りなのだろう。まだ見えているのに。さっきまでは手の届くところに居たのに。


でもドラえもんはSF作品だし、タイムマシンがのび太の机の左側の引き出しに入ってるし、10万年という途方もない数字が書かれていてもそれほど絶望感を感じない人も多いかもしれない。どうせドラえもんが何とかしてくれるだろ。観てる僕たちは常に「ドラえもん力本願」な訳で。




正直、「他人との接し方」について僕は全く客観が出来ていない。極力みんながみんなにしているような人付き合いをするように僕は心掛けているのだが、上手く出来ずなかなか信頼できるような友人を作れていない。そもそも信頼が出来る友人とは何なんだろう。何が出来れば、僕は「信頼できる」認定をするつもりなのだろう。


数か月前、コールセンターの派遣の研修を受けていた。小さな会議室のような部屋に、長テーブルが縦8列、横2列で並べられ、各テーブルにはパソコンが6台ずつ置かれ、テーブルの前にはプロジェクターを写すためのスクリーンとホワイトボードがあり研修室と名乗るにはふさわしい装いをしていた。研修中は毎週席替えがあり、僕はある週、3つ年下の女の子と同じテーブルになった。コールセンターの研修なので、”ロープレ”と言う片方が電話を受けるオペレーター、片方が客として応対の練習をするロールプレイングの時間があった。その時間はみんな割と自由に会話が出来る時間だったので、僕はその女の子と話した。客役を務める女の子が急にボケた。内容は思い出せないが、とても分かりやすいボケだったので僕は反射でツッコんだ。その後も女の子はボケを何度か入れて僕はツッコんで二人で笑った。

次。僕が客役になり、女の子がオペレーター役になった。僕はボケた。女の子はツッコまずにマジレス一鉄。なんだお前。そのあと、もう一回分かりやすいボケを入れてみたが、困惑6流し3マジレス1のリアクション。なんだお前!なんだお前は!!

心の扉をがっちり閉ざし、駆け足で網戸になっていた窓を締め、遮光カーテンのせいで薄暗くなった心の部屋で厚手の毛布をかぶった。


ボケたらツッコんでくれるか否か。ツッコまずともボケに反応してくれるか否か。

僕の信頼基準はここに比重あるんだ!その日初めて気が付いた。




映画を観た。あのドラえもんの映画。

『10万年後に、助けてくれ。』

これはドラえもんの想いだった。

自分自身のことすら何一つ一人で出来ない、毎日泣き喚きながら階段を駆け上がり部屋に飛び込んでくる、のび太に向けたドラえもんの願いだった。


こんなに絶望的な、諦観100パーで当然の願いがあっていいのか。どんな問題も最後には解決してくれるドラえもんが、最後に頼り、信じたのがのび太だったのだ。


と、これ書きながら映画思い出して涙なわけ。

ロボットでも見つかる「頼れる人」が、もうすぐ24年目を生きる自分にはいない。信頼したい。信頼欲求。そんなもんがあるってのがまた悲しいってわけ。また涙なわけ。

起因が異なっても、頬を伝う涙のルートは同じってわけ。

0コメント

  • 1000 / 1000