磯野!野球しようぜ


 小学4年生から高校1年の夏休み前まで僕はバスケ部に所属していた

と言っても、自分から望んでバスケをしたことなど一度もなく、小学生の頃に親に選び与えられたスポーツで、とにかく本当に興味がなかった

漫画を読まない僕は「スラムダンク」や「あひるの空」といったバスケ青春漫画と無縁だったし、当然NBAなども見なかったので、バスケが上手くなる「意味」も「イメージ」も持たずに純然たる惰性でバスケをしていた

シュートが入っても外れてもどっちでも良かったし、試合の勝敗なんて俄然どうでも良かった。何なら、弱小チームなのに珍しく1回戦を勝ち上がった時には、来週の土日が潰れることに苛立ちすら感じた




そんな閉塞状態の僕のスポーツ人生に突然転がり込んできたが野球だった



さながら映画「ちはやふる -上の句-」で、野村周平演じる太一がドアノブの無い屋上に閉じ込められていた時に、猛烈な勢いでドアを開けて飛び込んできた広瀬すず演じる千早だった


舞いあがった桜の花弁の中で息を切らし、燃えるような目線で僕を睨みつけたのが野球だった




小学生のころ、父親に何度もキャッチボールをさせられた。僕はボールが怖くて捕れなかったし、綺麗にボールを投げることも出来なかった。子供とキャッチボールをすることに憧れてる父親が一定数いることを知ったのは随分後だった


僕は人生で初めてスポーツに熱狂した

投げ方も捕り方も打ち方も、昼休み野球して遊んでいる同級生の誰よりも下手だった。野球部でもないのに、普通に野球をみんなと出来てる親友が羨ましくて、下手なのが悔しくて、どこまでも楽しかった

一切変化してない棒球を「スライダー」と呼び、空を切ったバットを振り回して「掠ったからファール!」と叫んだ。クラスの窓ガラスに自分の姿が映ってたら投球フォームに入ったし、授業中、筆箱に隠したスマホの中で躍動するダルビッシュを見ていた

ただ速いボールを投げることが、球を棒で打ち返すことが、打ち返されたボールを捕ることがなんでこんなに楽しいのか全然分からなかったけど、野球が上手くなる「意味」も「イメージ」も全部あの昼休みと放課後にあった



「おーい!磯野!野球しようぜ」

今日も中島は野球の誘いに来る

カツオと野球がしたくて、カツオと野球するために往復24分くらいかけて家まで歩いてくる

知らないけど。近すぎてもダメだろ?

最高過ぎる

永久にカツオと野球が出来る時間に閉じ込められた中島

誰にもあの時間を奪ってほしくない

俺の代わりにいつまでも野球をしていてくれ

つまらない現実は俺たちが相手しておく



僕の青春は、校舎裏テニスコートの奥、雑草生い茂る空き地にあった

あの『スポーツの熱狂』を、僕は一人の親友と野球部の友達に教わった。

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